最近、販売所で野菜を並べていると色々な人に声をかけてもらえるようになってきました。なかでも「おたくのお野菜は新鮮でおいしいわね~」とか「今の旬は何ですか~?」「この間食べた○○がすごく美味しかったからまた買いたいわ」などなど、お褒めのお言葉を頂くと、ついついこちらもニンマリうれしくなります。
これが全体のお客さんの95%以上。
ありがたいことですし、こういったお客さんには、その場で余った野菜や、たくさん採れて食べきれない野菜があれば、販売ついでのおまけで付けたりする場合もあります。
ただ、残りの5%未満のお客さんの中には、私が全く理解できない行動をする方がいます。あまりにも私の理解を超えた範囲で話をされると、一瞬『????』となるのですが、冷静に考えると『うん、それは対等ではないな。』という場面です。
場面その1
私が野菜を並べていると、
お客さん「おう、兄ちゃん」(←すでにこの段階で違和感を感じ始めていたのですが・・・)
お客さん「大きいキュウリないか?とにかく大きいやつ。向こうにある農家はくれるんだよ、そういうの。」
私『ありますよー。漬物用に使うのですか?ただ、うちは無料でお譲りできません。一袋120円になりますが、どうしましょう。』と聞くと、
お客さん「置いても売れ残るようなやつだぞ。大きいやつ。あっちの農家はただでくれるんだよ。ただで。他には真っ赤なトマトはないのか?それもくれるんだ、あっちの農家は。」
私『そうなんですね。真っ赤なトマトもあります。でもうちは無料ではお譲りしていないんですよ。』というと、
お客さん「じゃ、いらない。」と言って立ち去る。
そもそもどうしてタダでもらえると思うんだ?
こうしたお客さんは、スーパーでも同じように「タダでくれ」というのでしょうか・・・・。どう考えてもスーパーでは言わないはずなのに、農作物の販売所だと言えるのか。しかも見ず知らずの人に対して。農家、野菜、その他の何かを甘く見ているのか、こういったお客さんは、売り手と買い手の『対等性』が全く感じられないので、断固お断りしています。
農家仲間でこれが話題になったとき「それでもお客さんだからねぇ。」という話しもありましたが、私は対等な関係が望めないお客さんには断固として対応します。
いたって普通に食べられる商品を「ただでくれ」は、ありえないと思うのです。
場面その2
販売所を片付ける時間帯に、
お客さん「あのーすみません。○○が欲しいのですが、まだ販売してもらえますか?」(←はじめはすごく丁寧)
私『はい、もちろん販売します。ご自由にご覧になっていただき、他にご入用のものがあればお声がけください。』と言うと、そのお客さんはよく見ることもなくいきなり
お客さん『もう片付けるんですよね?残りのものは安くしてもらえますよね?』
私『あー。うちはそういうことやっていないので、片付け時に安く販売はしないんです。ごめんなさい。』
お客さん「いいじゃない、どうせ片づけるんだから、安くしてよ。今日はもうおしまいで、片付けるんでしょ?」と畳みかけてくるので、
私『すみません、そういった対応はしていません。ですので、・・・』と言いかけた段階で
お客さん「じゃぁいいわ。高いし買わないわ。」(←なぜか怒り気味に)と言い立ち去る。
あなたが決めることではないのでは?
販売所を片付ける(閉店)時間だから、”必ず安くしてくれる”という認識はどこからくるのでしょう。。。。。。
安くしてでも販売するかどうかを判断するのは【売り手】であって【買い手】ではない。“安くなるのが当然”というスタンスでお話をしてくることが理解できないのです。「買ってやる」という認識なのでしょうか。
売り手の私としては、『お客さんに買っていただきたい』という認識と同時に、『菜園場ならではの”価値”を提供している(売っている)』という考えなので、双方対等な関係であるべきと思っています(お客さんの買ってやる・販売者の売ってやるという意識は両方変)。
ごくごくわずかですが、今までで出会った不思議なお客さんたち。どうにも根っこにあるのは売り手と買い手の『対等性』という考えがないという共通項がある気がします。
私はこの『対等性』という関係性を大事にしていきたいと思っています。
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